最新情報
地域【福山市】
都市形成の傾向として駅周辺から商業地域が発展していることがあげられます。都市の中心であった福山城内を貫いて福山駅が作られたため、近世の商業的中心地がそのまま近代の商業的中心地へと移行したためです。こうしたことから、福山城は本丸を除いたほとんどの部分が開発され、市街化によって消滅してしまいました。
福山市を見渡すと、駅南口に市内随一の商業集積地があります。戦後の大型スーパーの出店ラッシュで、天満屋、ダイエー、ニチイ、イズミなどが相次いで出店してにぎわいました。ダイエー、ニチイは閉店しましたが、天満屋福山店が大増床してにぎわいを見せ、福山そごうも出店しましたが、本体の破綻で撤退するなど、大規模小売店の栄枯盛衰を見せつけています。
もっとも福山そごう跡、ダイエー跡は専門店ビルとして再生し、また分譲マンションなども建設されました。また、福山駅北口にも駅ビルである「さんすて福山」がオープンしたほか、分譲、賃貸マンションやビジネスホテル、あるいは飲食街などが建ち並び、駅周辺はにぎわいを続けています。福山駅には新幹線のぞみが停車するなど利便性の良さがこうしたにぎわいを生んでいるものと見られます。
福山市の玄関口として福山市はさらなる駅前地区の再生を目指し駅前大規模再整備事業を進行させています。福山駅から南東に約2キロいった入船町、王子町、三吉南町などの地区には、イトーヨーカ堂福山店、天満屋ハピータウンを中核とするポートプラザ日化という巨大商業施設があり、周辺部も巻き込んで成長著しいエリアです。さらに、福山駅から南へ約2キロいくと、国立福山医療センターをはじめとする大・中規模の医療施設が集まっています。
福山駅から南東へ数百メートル行くと、主に夜間営業のスナック、居酒屋、飲食店などが数多く集まっていて、広島県でも有数の規模で営業を行っています。このように福山市は福山駅を中心に様々な商業エリアが発展していきました。
工務店を福山で探すならならイエコレビンゴ
タグ
2012年2月6日 | コメントは受け付けていません。 |
カテゴリー:福山市
人口【福山市】
市制施行当時の人口は3万2356人であったとされますが、大規模な産業が発展していったことも重ねて、福山市の人口は中国四国地方では広島市、岡山市、松山市、倉敷市に次ぐ5番目の人口規模を誇るまでになりました。
さらに平成の大合併によって隣接のベッドタウンである4つの町を合併した結果、46万1471人になりました。人口増加の模様は次の通りです。1970年 355,264人、1975年405,677人、1980年425,675人、1985年441,502人、1990年445,403人、1995年453,791人、2000年456,908人、2005年459,087人、2010年461,471人。
注文住宅を福山でお探しならならイエコレビンゴ
タグ
2012年2月6日 | コメントは受け付けていません。 |
カテゴリー:福山市
歴史【福山市】
古代における現在の福山市街の中心地はほぼ全域が干潟や海であったとされます。この時代の備後地方の中心地は備後国国府のあった現在の府中市一帯でした。また、この地方は気候も穏やかで豊かな土地だったので、ヤマト王権と吉備との勢力争いの最前線であったため古くからヤマト王権の重要拠点ともなっていました。「二子塚古墳」をはじめ、全国でも有数の古墳集積地となっているのがその証拠です。平安時代には鞆に最澄により静観寺、空海により医王寺が創建されるなど、西日本の仏教布教の拠点となりました。戦国時代になると備後地方は毛利氏勢と尼子氏勢との拠点争いの地となり多くの城が築かれました。
そして安土桃山時代になると備後国は毛利氏の所領となり、関ヶ原の戦い以後は福島氏の所領となり、神辺と鞆に支城が置かれました。1619年、福島氏の改易により徳川家康の従兄弟である水野勝成が福山藩主として入ってきて、当時干潟であった深津郡野上村に福山城と城下町を建設し、この町を福山と名づけました。ここから福山市の歴史が始まるといえます。その後、1699年に松平忠雅が転封し、1710年に阿部正邦が福山に転封しました。以後、阿部氏が明治維新までこの地を治めることになりました。
明治維新の廃藩置県により備後国旧福山藩領と神石郡、甲奴郡の半分、備中国小田郡、後月郡の大半を持って福山県が設立し県庁所在地は福山町に定められましたが、これから行政区分はめまぐるしく変わり、1871年に福山県は深津県へ名称が変更され、翌年には深津県と倉敷県が統合され小田県が設立、1875年には小田県が岡山県へ編入され、翌年には岡山県から旧備後国である沼隈、深津、安那、品治、芦田、神石の6郡が広島県に移管されるなど変遷を重ね、いくつかの周辺地域を編入して、1916年に福山町が廃止され、福山市が全国で73番目、広島県では4番目の市として誕生しました。
その後、1933年に深安郡川口村、手城村、深津村、奈良津村、吉津村、木之庄村、本庄村、沼隈郡神島村、佐波村・草戸村を編入したのに続き、42年は沼隈郡山手村、郷分村を、
56年には深安郡引野村、市村、千田村、御幸村、沼隈郡鞆町、水呑町、津之郷村、赤坂村、瀬戸村、熊野村を、62年には深安郡深安町を編入するなど、周辺の村を吸収合併して順調な発展を続けてきました。広島県東部の中心都市となっていったのです。
住宅を福山で探すならならイエコレビンゴ
タグ
2012年2月6日 | コメントは受け付けていません。 |
カテゴリー:福山市
地理【福山市】
福山市は、瀬戸内海の中央部で広島県南東端に位置しているため、広島県でありながら、最大都市の広島市までは約108キロあるのに対し、隣県の岡山市まで約61キロと近いという地理的特性があります。もともと、福山市全域が現在の岡山県である旧吉備国の一部であった備後国に属していたためです。福山市の南は瀬戸内海に面し、北は標高400~500メートル級の山岳地帯が連なっており、海と山に囲まれた温暖な地域といえます。
いわゆる典型的な瀬戸内海式気候に属しており、広島県内でも雨が少ない地域として知られ(年間の雨量は約1200ミリ)、そのため河川の流量も少なくなっています。冬から春にかけて、中国大陸から流入する黄砂が観測されることも多く、また、冬には氷点下まで下がる日もあります。逆に太平洋高気圧に覆われる夏季には瀬戸内海沿岸特有の「凪」が発生し、日中の気温が35度を超える猛暑となる日もしばしばあります。
また、北部には高梁川支流の小田川渓谷を作り上げている猿鳴峡があり、近くには県天然記念物の「矢川のクリッペ」や「上原谷石灰岩巨大礫」という石灰岩に纏わる名勝もあります。南側は瀬戸内海に面しており、多くの島々が点在していますが、福山市が持つ島はあまり多くありません。
海流の速度は部分的に非常に速いところがありますが、ほとんどは波は穏やかでまったくないときもあり、津波の心配はほぼなく、被害を受けた記録もありません。穏やかな海を抱えているわけです。また中国地方のほぼ中心に位置するところから、山陽新幹線では広島駅まで24分。岡山駅まで16分。新大阪駅や小倉駅までも1時間程度でつくなど、交通アクセス面ではきわめて便利になっています。
在来線は、山陽本線のほか、福塩線、井原鉄道などが通っています。空の便は、広島県三原市の広島空港までクルマで約1時間、岡山空港までは約1時間半とアクセスも充実。さらに道路に関しても、福山市を中心とする備後都市圏と岡山市・倉敷市を中心とする岡山・倉敷都市圏は国道2号や山陽高速道など交通面でもほぼ連続しています。また四国とを結ぶ2つの本州四国連絡橋間に位置していて、香川県、愛媛県といった四国北部方面へのアクセスも良好。
福山の工務店ならイエコレビンゴ
タグ
2012年2月6日 | コメントは受け付けていません。 |
カテゴリー:福山市
文化【福山市】
こうした地勢的な特徴から、文化的には県庁所在地の広島市を中心とする県西部に比べて、関西圏の影響が強いことが特徴です。たとえば、お好み焼は広島風も存在するものの関西風の店も多かったり、プロ野球についてもカープファンが多いものの、広島市のように決してそれ一色ではなく、阪神タイガースファンも多いなどの傾向がみられます。
また、方言も福山弁と呼ばれ、広島弁とは一線を画しています。広島弁というのはいわゆる安芸弁ですが、福山弁はもともとこの地域特有の方言の備後弁に近く、備後弁はむしろ隣接している備中弁と大差ないところから、備後地方東部や岡山県井笠地方、倉敷地方などとの一体感が維持されているのもそうした同種の方言によって結ばれているのでしょう。また、福山弁には三河弁の表現も混じっているとされ、さらに古くから海運で栄えた鞆の浦など特定の地域では上方方言の影響が残るなど、文化的には独特の存在感を持ち、この地域は福山市を中核とした備後都市圏を形成しています。
福山市の製造品出荷額は約1兆5000億円で広島市と同規模。中四国地方でも倉敷市に次ぐ2番目の規模を誇っています。特にJFEスチール西日本製鉄所福山地区(旧日本鋼管福山製鉄所)は世界最大規模の製鉄所でもあり、福山市の製造品出荷額の大半を占めています。また上場企業やその業種のオンリーワン企業が非常に多く、上場会社、トップシェア企業の多い地域としても知られています。地場産業では繊維、電子機器、ポンプ、クレーン、機械検査機器、食品トレー、ゴム製造業などの製造拠点になっています。
福山市の姉妹都市や提携都市は多く、まず、愛知県岡崎市は岡崎生まれの徳川家康と初代福山藩主水野勝成が従兄弟だったこと0から姉妹都市となりました。海外では、カナダのハミルトン市、大韓民国の浦項市、フィリピンのタクロバン市、アメリカ合衆国のハワイ州マウイ島などと友好都市になっています。
また、福山市のシンボルとなっているのが、福山城です。国の史跡に指定されており、久松城、葦陽城とも呼ばれています。日本における近世城郭円熟期の代表的な遺構であり、2006年には日本100名城に選定されるなど、美しい偉容を誇っています。福山城伏見櫓、筋鉄御門などは国の重要文化財に指定されています。福山城の完成は1622年で、新規の築城としては近世城郭で最も新しい城ですが、二の丸三の丸など、周辺の再開発に伴って取り壊され、現在は残っていません。
また、福山市内には、草戸町に国宝明王院五重塔、国宝明王院本堂が残っており、さらに、沼名前神社能舞台、鞆の浦太田家住宅、太田家住宅朝宗亭、鞆の浦備後安国寺釈迦堂、木造十一面観音立像、木造阿弥陀如来及両脇侍立像、木造法燈国師坐像、磐台寺観音堂、備後吉備津神社本殿、などなどが重要文化財として指定されており、知られざる歴史の町でもあります。
また、福山市鞆町の南端にある鞆の浦は沿岸部と沖の島々一帯が「鞆公園」として国の名勝及び国立公園に指定されています。観光名所として1年中観光客が途切れることはありません。
福山の住宅ならイエコレビンゴ
タグ
2012年2月6日 | コメントは受け付けていません。 |
カテゴリー:福山市

